ちんつぶ 4 (MBコミックス)昨年デビュー15周年を迎えた大和名瀬さんに直撃インタビュー。デビュー当時から現在に至るまで、じっくりたっぷり聞かせていただきました~!

というわけで、前編・中編・後編と3回にわけて貴重なインタビューをお届けします♪
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同人誌と出会うやいなや、やおい好きに

――2011年はデビュー15周年ということで、様々な企画がありとても華やいだ年に見えました。大和先生にとって2011年はどのような年でしたか?
大和 リブレ出版さんをはじめ周囲の方がお祝いをしてくださって、長い間やってきたんだなとありがたく感じました。私自身は何か新しいことをはじめるわけでもなく、特別なことをするわけでもなく、いつも通りに過ごしていました。15周年というとキリがいいのは確かですけど、周りの作家さんには15年どころか20年とかそれ以上長く活躍されている方もたくさんいらっしゃいますし、厳密にはデビュー時期があやふやなので、15周年なのかなと自分でもよくわからなかったんですよ(笑)。
――1996年に『パル』に掲載された「恋愛ブーム!」がデビュー作ではないのですか?
大和 正規のデビューはそうですね。だけどそれ以前にアルバイトみたいな形で、1年くらい代原や小さなイラストを描いていた時期がありまして。そのとき載った作品がそこそこ反響をいただけたもので、ちょうどそのときに描いていた新しい代原用の原稿をデビュー作にしましょうという話になって、投稿作扱いでデビューすることに。それが1996年でした。
――では商業誌の掲載経験という意味では、1年プラスされるんですね。
大和 はい、実は。どちらにしろ、あっという間だったことに変わりはないのですが。
――子どもの頃からマンガ家になりたいと思っていたのですか?
大和 いいえ。子どもの頃から少女マンガが好きで、お絵かきをしたりノートにマンガ的なものを描いたりはしていたので、憧れはあったのですが、自分にはなれるはずがないと思っていました。中学生のときにアニメ好きの友人の影響で同人誌の存在を知り、アニメからの流れで同人誌を描きはじめたもので、マンガを描く=趣味、という感じでした。
――その同人誌はいわゆるやおい同人誌?
大和 そうです(笑)。同人誌というものを知ったのと同時にやおいを好きになってしまったので、友人と一緒に今でいう二次創作同人誌を描くようになりました。
――ちなみにそのときハマったジャンルは何だったのでしょう。
大和 もう大昔ですけど(笑)、最初は「聖闘士星矢」でした。私がハマったときに一番盛り上がっていたのが「聖闘士星矢」だったんです。そのあとに「キャプテン翼」に戻って、「鎧伝サムライトルーパー」にいきました。
――女の子向けジャンルが一気に盛り上がっていった頃ですね。
大和 楽しかったですね。ただ中学高校と同人誌に夢中になっていたのですが、描いていくうちに何か物足りなさを感じるようになっていったんです。もちろんもとの作品やキャラクターが大好きで描いていたのですが、どんなに人が褒めてくれてもこれはやはり別の方の作品のキャラであって、みんなで盛り上がっているけれども、自分が褒められて喜ぶのは何だかおかしいなと思ったんですよ。それで高校を卒業するあたりから、同人誌でオリジナルBLも描くようになりました。
――それ以前も、描かないまでもJune系の作品を読んではいたのですか?
大和 同人誌をはじめた頃から『June』や『小説June』は読んでいましたし、大好きでした。それでオリジナルを描くようになった頃、ちょうど将来についても考えなくてはならない時期だったので、挑戦する気持ちで投稿してみることにしたんです。
――ただその投稿先が、BL誌ではなく少女マンガ誌でした。
大和 当時はまだ『マガジンBE×BOY』が創刊されたばかりで、ボーイズラブという言葉もない時代でしたから、BL誌はハードルが高かったというか、投稿というシステムがあるかどうかもわからなかったんです。これは私の思い込みもあったのですが、商業誌でBLを描くのは、同人誌ですごく人気になった人たちだけだと思っていたんですね。それで同人誌でBLは続けるけれども、投稿するなら少女マンガだろうと。

担当さんの英断で「ちんつぶ」誕生!

――少女マンガ誌でデビューされたあと、わりとすぐにBL誌でも描かれるようになりましたよね。
大和 そうですね。当時はちょうどBL系の雑誌がどんどん創刊されていた頃で、私がデビューさせていただいた出版社さんでもBL誌を出すことになったんです。だけど私は、少女誌でデビューしたばかりだしBLのイメージをつけたくないからうちのBL誌では描いちゃダメ、といわれまして。すっごく描きたかったんですけど(笑)、涙を呑んでお仕事をしていたときに、同人誌を読んでくださった別の出版社さんから声をかけていただいたんです。だからしばらくはデビューした出版社さんで少女マンガを描いて、他社さんでBLを描いていました。それから結局イメージがどうのなんてもう関係ないじゃないということになって、少女マンガを描いていた出版社さんでもBLを描けることに。それで2、3作描いたあとにはじめたのが、「ちんつぶ」です(笑)。
――キャリアの中でも異色の(笑)。
大和 あれは担当さんが描いてといってくださったんですよ。ずっと私を見ていてくださった方でつきあいは長かったんですけど、あるときなかなか原稿が上がらなくて一晩見張られたことがあったんです。で、眠くならないように下ネタを話そうということになって、「ちんこが話したら楽しい」みたいな話をしていて(笑)。なんとか原稿が上がって少し経った頃、担当さんから「この前の話をやりましょうよ」っていう連絡があったんです。
――そのときの大和先生のお気持ちは?
大和 描いていいなら描きます、と。よく「こんな話を描くなんて」とか、「どこからこういうアイディアが浮かぶんですか?」なんていわれるんですけど、ネタ自体は別になんでもないみんなが話すような下ネタであって、すごいのは「これで行こう!」と決断した担当さんなんです。私はあまり何も考えていなかったというか、本当にノリでスタートしたので。雑誌が休刊して、私が自分の力で続けていかなければいけないんだと思ってからは、ノリだけでは描けないところも出てきましたが(笑)。後々までいろいろ反応があったり、こんなに応援してもらえるシリーズになるとは思っていませんでした。
――商業誌でBLを描きはじめてからは、自然にBLの比重が高くなっていったという感じでしょうか。
大和 はい。デビューさせていただいた出版社さんはなんとか少女マンガも一緒に、と思ってくださったんですけど、私がもともとBL好きだったというのと、あまりに忙しくてBLか少女マンガかどちらかを選ばなければならなくなったときに、ギリギリで私はBLを選んでしまったんです。これは私の一番苦い記憶なんですが、少女マンガのほうを丸々1回落としてしまいまして。そのときに少女マンガ誌の編集部の方たちといろいろ話し合ったりしたのですが、その後その少女マンガ誌自体が休刊してしまったんです。
――結果的にBLに集中する環境ができたわけですね。
大和 そうなるまでの期間も短かったのですが、以来BLだけを描いてきたという感じです。15年やっている間に何度か少女マンガやゲーム系といった雑誌から執筆のお話をいただいたことはあるんですが、ずっとBLでやってきたので、今から少女マンガを描いたとしてちゃんとレベルの達したものにできるのかという不安と、やっぱりBLが好きだからこっちできちんと結果を出したいという思いがあって、お引き受けできませんでした。でもそれでよかったんじゃないかなと思っています。
(中編につづく)